天上聖母
媽祖は西暦960年中国北宋時代に福建省沿岸の小さな漁村にある林家に生まれた実在の人物です。
生まれて一カ月間、泣き声も上げず「林黙娘」と名付けられました。小さい頃から才智に長け、16才で神から導かられ、法力を持つ銅制の札を授けられたといわれています。それから神通力をつかい各地を巡回し悪や禍を退け、人々の病を癒す彼女を「通玄の霊女」と尊敬の意を込めて呼ぶようになりました。
28才の9月9日に修行を終え、天に召された後も赤い衣裳をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたので、人々は廟を建て護国救民の神様として祀るようになりました。これらの功績が国中に広がり、歴代の皇帝も「天妃」「天后」「天上聖母」などの称号を贈り敬意を表しました。
媽祖は航海の安全を護る海の神のみならず、自然災害や疫病、盗賊から人々を護る女神として、中国大陸や台湾はもとより華僑が住む世界各地で信仰されています。
黙娘は一途に霊的な探究に打ち込むにつれ、ますます強い神通力を示すようになりました。16歳の時、神仙から二つの青銅符牌を与えられ、それにより未来を見て天気を予知したり、魂として旅したり、病気を治したり、災害を言い当てたり、悪霊を退散させたりできる、至高の霊能力を得ました。苦難に陥った漁師や船員を、荒れた海に飛び込んで救出するなど、熟練した泳ぎ手としても有名でした。文学においては、赤い衣装を身にまとって海をめぐり、船を安全へと導く姿がよく描かれます。
ある有名な物語によれば、黙娘が自宅で壁掛けを織っているときに、父と兄の乗った船が海難に遭いました。深い催眠状態に陥った彼女は、家族を助けるために肉体を離れて兄を救助しましたが、状況を知らない母が彼女を催眠状態から目覚めさせてしまったために、父を助ける使命を全うすることはできませんでした。他の物語では、父を見つけようとしている間に、疲れておぼれてしまったともいいます。他にも、彼女は瞑想中に亡くなった、あるいは山に登って一筋の明るい光に包まれ天国に行った、という物語もあります。