横濱媽祖廟の歴史
1858年に日米修好通商条約が結ばれた後、臨海都市・横浜は1859年6月2日に開港し発展しました。日本で外国企業が事業を立ち上げる際に、通訳や地元の商人と取引を円滑に行うために、多くの仲買人が中国からやってきました。洋裁、芸術、絵画、活版印刷などを含む数々の技術を祖国から日本へ持ち込み、長年にわたって横浜への中国人移民の数は増加しました。1886年には横浜中華街に最初の廟として、関帝廟が建立され、媽祖様も祀られました。
記録によれば、日本における媽祖崇拝は、1400年代半ばに沖縄の琉球列島から始まりました。旅する中国人の多くが彼らの庇護者である媽祖を運んできたため、20を超える寺院に媽祖が祀られています。また、世界26か国に約1500の媽祖廟があり、200万人を越える信者がいます。現在日本では、中国人が居住した横浜、大阪、長崎などの港湾都市に媽祖を祀った記録があります。
現在の媽祖廟は、明治時代に置かれた清国領事館の跡地にあります。廟の建築には地域住民の協力が必要でしたし、天上聖母を祀る最初の廟がここにあることを光栄に思います。横濱媽祖廟の建立にあたり、守り神であるこの海の女神の美しさ、霊威力、活気が中華街に吹き込み、日本人社会に理解され、観光地としても楽しんでもらえる文化を共有することを願いました。
(台湾の台南大天后宮より横浜中華街の媽祖廟に贈られた公式廟印)